ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく(『一握の砂』)
と石川啄木が歌った、しみじみと懐かしく思い出される「故郷」は、文部諸唱歌で
兎追ひし かの山
小鮒釣りし かの川…
と続きますが、日本で「故郷」や「古里」と言った場合に、普通まず第一に思い浮かぶのは、「生まれ故郷」や生い育ったところの情景でしょう。それは多くの人にとって長い間住み慣れた場所、心の拠り所として感じる場所、思い出や生活の基盤が詰まった特別な場所です。さらに範囲を広げると、郷里・郷土、自分や先祖の生活の地、出生地や出身地ともなります。第二次世界大戦後の新生ドイツでは、暴虐の限りを尽くしたナチスのイメージを払拭しようとして、純朴な善人の住む牧歌的な田舎を舞台とした Heimatfilm (郷土映画)が盛んとなりました。これに少し政治色を加味したのが、不思議なことにドイツではほとんど知られていませんが、日米両国で大人気となったジュリー・アンドリュースの『サウンド・オブ・ミュージック』です。ザルツブルクを訪れたドイツ人の大部分は、そこでご当地的に大々的に宣伝されているのを見て、これは何じゃろかと首を傾げているのが普通です。
ドイツ語では日本語よりも範囲が広く、過去の安住の地以外にも家庭、我が家(Heim, Zuhause)など現在の生活の場を Heimat と言うこともあり、第二の故郷(die zweite Heimat)ともなります。後に見るように、世論調査では、Heimat と言う言葉で思いつくのは、家族、友人、親戚、現住所と言うのが多数を占めていました。そこで Heimat と言う言葉をごく抽象的に定義してみると、「生活基盤のある、またはあった場所」と言うことになるでしょうか。もっとも日本でも都会で生い育った人が、そこに終生変わらず住む場合、そこはやはり故郷と言うことにはなるでしょう。
現在生活しているところをそう呼ぶのはフランス語でも同じで、patrie d’adoption, adoptive (第二の祖国)と言う言葉もあります。フランス語では祖国(patrie)が本来あって、そこに故郷として petite patrie が作られました。この意味では出身地や生まれ育ったところ、pay d‘origine, pay, terre natale, berceau と言うことにもなります。これが英独語では、home や Heim に由来する hometownや Heimat など、ノスタルジアを呼ぶ言葉となります。
故郷と現在の生活の場も、その構成員によっては本拠地、拠点、根城、牙城などともなりますが、これを国家レベルまで大きく拡張すると
祖国・母国・故国 – Vaterland, Heimatland – homeland, fatherland – patrie
となり、いずれもラテン語の pater(父)にその起源を持つものです。英語でmotherland, home/mother/native country と言えば、愛国心高揚の意味合いがなくなります。Old country となれば、移民の出身国と言うことにもなり、独仏語では Heimatland – pay d’origine とも言えます。Heimat の概念を動植物にも適用すると、その生息地や原生地となります。
それではドイツ語におけるHeimat の用例を見ましょう。ドイツのヴァイゲル元財相が、作家マルティン・ヴァルザーについて回想している文章から始めましょう。
Was uns ganz besonders verbunden hat, war das Alemannische, die Herkunft. […] Walser hat den Bodensee und seine alemannische Heimat gebraucht. Wie sehr er darin verwurzelt war, zeigt sich für mich in seinem Roman „Ein springender Brunnen“, ein Buch, das mir in der Art, wie er sich an seine Eltern und seine Kindheit erinnert, am meisten zu Herzen geht. Mit seiner Sprachkunst hat er es zu einer schwäbischen Legende geformt. / Es ist dann nicht mehr nur seine Kindheit, sondern ich erkenne meine eigene Kindheit wieder. Das ist die große Kunst von Walser. / Das heißt nicht, dass Walser ein Heimatdichter war, aber er hatte ein aufgeschlossenes, natürliches Heimatdenken. So wie er von seinem Chauffeur Xaver Zürn in „Seelenarbeit“ sagt, er liebe die ungeraden Straßen, die nach Hause führen. Wenn man Walser liest, dann weiß man, was Heimat ist. Wie es bei Novalis heißt: „Wo gehen wir denn hin? Immer nach Hause.“ / Heimat ist ein Grundwert, und deshalb tut jedem die Lektüre von Walser gut. Das bayerische Schwaben war und ist Teil seiner Heimat. Politiker sollten immer an Walser denken, wenn sie über Heimat reden wollen. (SZ, Theo Waigel, 31.07.2023)
特に私たちを結びつけていたのは、アレマン方言、私たちの出自です。【…】ヴァルザーはボーデン湖とアレマン方言の故郷を必要としていました。彼がどれほどまでそこに根ざしていたかは、私には、彼の小説『Ein springender Brunnen』によく示されているように思えます。そこで彼が両親や幼少期を思い起こしているところは、一番私の心に触れるところです。彼はその言語芸術によって、それをシュヴァーベン地方の伝説にまで仕立て上げたのです。/こうしてそれはもはや彼の幼少期であるだけではなく、私自身の幼少期でもあるのです。これがヴァルザーの偉大な芸術です。/ヴァルザーが郷土作家であったと言うことにはなりませんが、彼は故郷について率直で自然な考え方を持っていました。ちょうど、『Seelenarbeit』で彼が運転手のクサーヴァー・ツュルンに「家に向かう曲がりくねった道が好きなのです」と語らせているように。ヴァルザーを読めば、故郷とは何かが分かるというものです。まさにノヴァーリスが「どこへ行くと言うのか。常に家(うち)に帰るのだ」と言ったように。/故郷は基本的価値であり、だからこそヴァルザーを読むことは、誰にとっても良いことなのです。バイエルン・シュヴァーベン地方は彼の故郷の一部であったし、今もまたそうなのです。政治に携わる人は、故郷について語りたければ、常にヴァルザーを思い浮かべるのが、よいでしょう。(『南ドイツ新聞』テオ・ヴァイゲル)
世界的に有名な『21世紀の資本』のトマ・ピケティのインタヴューがあります。
Piketty Sie (ehemals konservative Wähler) fühlen sich einfach nicht mehr repräsentiert. Ich glaube nicht, dass alle Wähler rechtsextremer Parteien die Demokratie abschaffen wollen oder dass alle Rassisten sind. Viele sehen in diesen Parteien auch nicht so etwas wie eine politische Heimat, denn wir beobachten auch, dass die Wahlbeteiligung in den armen Kommunen stark zurückgegangen ist. Viele bleiben aus Frust einfach zu Hause. Das ist aber auch eine gute Nachricht, denn diese Leute sind für etablierte Parteien nicht verloren. (Zeit, No.12, 14.03.2024, Marcus Gatzke und Mark Schieritz Interview mit Thomas Piketty)
ピケティ 彼ら(かつての保守党支持者)は、(保守党が)もはや自分を代表しているとは感じていないだけなのです。極右政党を選んでいる人々が全て民主主義の廃止を望んでいるとは思いませんし、彼らが全て人種差別主義者であるとも思いません。多くの人々は、これらの政党を政治的な心の拠り所のようなものとも考えていません。と言うのも、貧困自治体での投票率が急激に低下していることも観察されているからです。不満から投票に行かない人も多くいます。けれども、これは良いニュースとも言えます。と言うのも、こうした人々は、既成政党にとっての損失とはならないからです。(『ツァイト』)
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