文学の象徴主義は、フランスで起こった一大潮流です。ボードレールやヴェルレーヌ、ランボーやマラルメなどを中心に自然主義や写実主義に対抗したものです。
その一つ、ランボーの『地獄の季節』から
Enfin, ô bonheur, ô raison, j’écartai du ciel l’azur, qui est du noir, et je vécus, étincelle d’or de la lumière nature. De joie, je prenais une expression bouffonne et égarée au possible:
Elle est retrouvée!
Quoi ? l’éternité.
C’est la mer mêlée
Au soleil.
Mon âme éternelle,
Observe ton vœu
Malgré la nuit seule
Et le jour en feu.
Donc tu te dégages
Des humains suffrages,
Des communs élans !
Tu voles selon…
Jamais l’espérance,
Pas d’orietur.
Science et patience,
Le supplice est sûr.
Plus de lendemain,
Braises de satin,
Votre ardeur
Est le devoir.
Elle est retrouvée !
– Quoi ? – l’Éternité.
C’est la mer mêlée
Au soleil.
ついに、おお、幸福だ、理性だ。私は天空から蒼空を、本来は黒色ともいうべき蒼空を引き離した。そして、光という自然の、その黄金の火花となって生きた。歓びのあまり、私は思いっきりおどけて取り乱した表現をとってやった。
あれが見つかった
何が? 永遠
太陽と溶けあった
海のことさ
ぼくの不滅の魂よ
おまえの誓いを守るがいい
独り身の夜と
燃える昼にはおかまいなしに
従って 世間の評判からも
月並みな方向からも
己を解き放って
気ままに飛んでゆくがいいのだ……
――望みもなければ
復活の祈りもない
学問と忍耐 つまりは
責め苦こそが必定(ひつじょう)だ
もはや明日はない
サテンの燠よ
おまえの灼熱こそが
果たすべき務めなのだ
あれが見つかった
――何が?――永遠
太陽と溶けあった
海のことさ
(Apparition*9あらわれ*10)
詩人にとっての詩の女神( Muse )とも言える、最愛の妻との最初の接吻、光と闇との明暗の判然(はっきり)とした心象風景です。
日本でもすでに江戸前期に和歌の前半を独立させて、極端に縮小した叙述の平面を象徴の空間とする俳句の形式が松尾芭蕉により確立されました。
「古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音」 芭蕉
日本でこれを知らぬ人はまずいないであろうと思われる俳句中の俳句ですが、感覚的に言って象徴主義であるといえるでしょう。
ここでは単なる、古池を巡る静けさではなく、この静けさを打ち破る音により元の静けさが打ち消された後、相乗効果の働きで一層しんとした静けさが提示されていることになります。単なる静けさだけだと、そのうちに聴覚が麻痺してきますが、そこで一度打ち破られた静けさは、その衝撃音との対照により、一層の質的深化を得ることになります。言い替えると、後の静けさは先の静けさと蛙飛び込む水の音とが共に止揚されて保存された静けさであり、ここに質的に飛躍を遂げた、新たな次元の静けさが出現することになったと言えます。またその背景には、多分芭蕉庵の傍にあったと言われている、古くに造られた池と言う日常的人工物とカエルと言う自然界の生物が対照的に置かれていて、自然界における動き(運動)を呑み込み、止揚した非自然(古池)の静止状態の、まさにそこに、日常の中にありながら、その日常を超えた異次元の閑寂(さび)を見出しているとも言えましょう。日本を代表する世界的俳句の簡単な弁証法的解釈をしてみました。
____________________________________
*2ランボー全詩集 宇佐見斉 訳 ちくま文庫 1996年第1刷、筑摩書房
*3 小林秀雄訳『地獄の季節』
*4 「ランボー詩集」昭和26年発行、平成23年88刷、新潮文庫
*5 講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」
*6 「ランボオ詩集」創元社、昭和23年発行。
*7 「中原中也が訳したランボー「永遠」L‘Éternité」参照
*8 柿本人麿の上の句は「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の」です。『拾遺集』。『百人一首』にも収録。
*9 Apparition
*10 あらわれ
コメントを送信